北海道を好きになった理由


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「僕が北海道にはまった理由」

 僕が初めて北海道に旅したのは19歳の7月19日からでした。

 当時、国鉄(現JR)が「いい旅チャレンジ20,000km」ってキャンペーンをしていて(国鉄の各線区に乗って始発駅と終着駅で証明写真を撮って送ると賞品が貰えるんです)駅弁を食べながら車窓風景を見るのが好きだった僕はその企画にのせられて綿密な計画をたてたんです。

当時はまだ「青函連絡船」もありましたし、大阪から青森は直通で急行「きたぐに」も利用できました(今は新潟まで)。でもその頃、僕は北海道といって連想出来たのは「時計台」「夕張炭坑」と「霧の摩周湖」くらいしでした。専門学校に通ってた頃ですから夏休みも結構有りましたしワイド周遊券の期限いっぱいの20日間で「北海道の国鉄を制覇!」…なんて今考えると非常に時間の勿体内ような計画でした(それはそれで楽しかったのですが)。

 そんな旅の途中(摩周湖YHだったと思います)一冊の本と出会ったのです。

「とらべるまんの北海道」…市販のガイドブックや「ビックスニーカー北海道(航空会社の企画したツアーの名称)」等では見れない穴場満載の冊子。足で見つけた極秘(笑)スポットが手書きで詳しく書かれてました。北海道ヲタクのカニ族の人や民宿やユースの経営者等からの情報が多方面から寄せられてました。また一般に観光客の行くスポットは「あそこは騒がしい」とか「やめた方が良いのでは」等ガイドブックでは絶対にタブーとされている「ダメ情報」的な内容も満載でした。読んでいるうちに「ここも行きたい」「あそこも…」なんて…

 夢中で読みふけりました。でもその時僕の旅は終わりに近づいていたのと、目的が「チャレンジ20,000km」で賞品を貰う事でしたので翌年にもう一度北海道に来るぞぉと決めたのでした。

 翌年、「とらべるまんの北海道」を持って再び盆あけの8月下旬に北海道を訪れました。でもその時も何故か綿密な計画はたててました(笑)典型的血液型A型なんでしょうね、乗る列車と時間…万が一列車が遅れた時のスケジュールまでびっちりと書き込まれたノートを持っていました(爆)。

 決められた旅が気ままな旅に変わったのは佐呂間の「サロマ湖畔YH」で同室だった名古屋の男性二人組に車に乗せて貰ってからです。この旅で予算の都合等であきらめかけていた知床経由で次の宿泊地「標津町YH」までのせて貰ったのです。当時は今のように図々しい性格ではなかったので恐縮しながらお世話になりました。能登呂湖、網走、北浜、斜里から知床へ…。

 「とらべるまん」に載っていた「乙女の涙」も見ることが出来ましたし、知床五胡では「はまなす酒」や「こけもも酒」の試飲で酔っ払いました(笑)。それ…以降車に味をしめた僕は同室で車で来られてる方を見つけるとすぐにお友達なったりしました、あはは。

 それから3年連続で北海道へ旅をしました。

 写真専門学校を卒業して結婚式のカメラマンやビデオ制作会社のアルバイトをしていた僕には時間だけはたくさん有りましたので人の来ない時期で周遊券の割引のきくギリギリ6月30日から旅をしました。

 それまでは当時「キチガイYH」と呼ばれていたユースホステルはなるべくさけて宿泊していました。どうも大騒ぎは僕の性格にあってない気がしたのとミーティングのゲームで恥ずかしい罰ゲームをしたくなかったからでしょう。(既に摩周湖YHと積丹YHで経験していましたので・・・)。以前にNHKの朝のニュースかなにかで「利尻おしどまりYH」の鴛泊港からの見送中継を見たことがありました。ギターをかき鳴らして皆が船に向かって踊るんですよ!・・・だから今回の旅の最終目的は「利尻」と「礼文」だったンですがなるべく静かなとことに泊まるつもりでいました。

島に渡る為には稚内からのフェリーを利用するつもりでしたので前日は三浦綾子さんの小節「塩狩峠」の舞台でもある「塩狩温泉」のユースに宿泊しました。大きな風呂でジンギスカン食べ放題…で気分は最高に幸せでした。明日は礼文に渡ってお花畑や地蔵岩を見てまわり、あさっては利尻の観光バスで島内一周するんだ…と考えてたんです。ジンギスカンを食べ終えてのミーティングの時に座った席が良かったのか悪かったのか…。

女の子「どこから来られたんですか?」

僕  「あ、大阪からなんですよ」

女の子「明日は何処に行かれるんですか?」

僕  「明日は礼文島に渡るんですよ・・・」

…と返事したとたん、彼女は笑みを浮かべながら食堂横の電話の方へ歩いていった・・・

女の子「あ、こうせつ君(当時のおしどまりYHのヘルパーのリーダー)?明日ね、男性一人塩狩YHからそっちに行くから宜しくね」

…すたすたと電話から帰ってきた彼女

女の子「じゃ、そういうことで明日は鴛泊港でヘルパーの人達が出迎えてくれるので楽しみにね」

僕  「…え???」

…結局そのあと僕の横に座った男性も同じく翌日の宿泊先は「おしどまりYH」って事になりました。

 翌日

 稚内からフェリーにのって着きました、利尻島!富士山みたく格好の良い島です。下船時タラップをおろるとそこには「おかえりなさい!鴛泊りユースホステル」の旗をもった人々が大歓迎で迎えてくれました…早速、ユースに案内してくれるのかと思いきや

ヘルパー「では、これから島をでる船を見送りま~す。皆さんならんでください」

 訳もわからず荷物を置いて横並びに整列させられました。ギターの音が鳴り響きます・・・たくろうの「落陽」やいつかNHKでやってた恥ずかしい踊りが始まりました。唖然としている僕にヘルパーが「さぁ、皆と同じように踊って下さい」・・・正直いって「もう帰ろうかな」と思ったのですが既に船は鴛泊港を出ていった後でした。

 その夜、ミーティングで唄と踊りを教わり初めは恥ずかしかったのがやっているうちに不思議と楽しくなってきました。

 考えてみれば利尻島で知り合った仲間が日常に帰るのを送り出す為に船に向かってさよならをする・・・なんて素敵なことでしょう。隣の礼文島のYHでも「旅の終わりに」って素晴らしいオリジナルシングがあります。旅って日常のいやなことを忘れて気分をリフレッシュさせてくれるんですよね。だから旅を終えて日常に戻っていく仲間を声のかれるまで大声で励ましてるんだと理解しました。だって見送ってる人達も近いうちに日常に帰っていくのですから…(その時は自分も沢山の人に見送ってもらいたいでしょ)。

 だから翌日、前夜に知り合った友に向かって大声で「帰ってくるんだよ」「いってらっしゃい」と言いながら一番前で踊ってた僕でした。

 それ以降、僕の旅の目的は素敵な風景と人との出会いをテーマとしています。貯金をするのが下手なので夢で終わりそうですが…いずれは北海道で民宿かユースの経営をしたいななんて考えています。

 最後にその時宿泊した「おしどまりユースホステル」は現在は存在しませんが噂では新しくできた「グリーンヒルユース」に伝統は引き継がれていたそうです(ユースは解約されたみたいですね)。また「とらべるまんの北海道」も配布させてないようです。

 今でも港で「かっこいい奴」や「ああ、利尻島」なんかを歌っているのかな?本を作ったトラベル軍団の人達はどうしているんだろう?